私は負けない
Strong At The Heart
性暴力の傷が癒えるとき
サバイバーである小林美佳さんの性犯罪被害者との交流サイト。
フォトジャーナリスト大藪順子さんのサイト。 性暴力サバイバー達の写真集“Project STAND”を運営している。
NPO法人、全国女性シェルターネットによる災害や性暴力などに悩む女性と子どものための相談室。
(英語)アメリカ最大の性暴力被害者のための支援グループ。
私は負けない
Strong At The Heart
性暴力の傷が癒えるとき
少年や成人男性が性暴力を受けるとは、いったいどのような事なのだろうか。ジョナサンが家族ぐるみの付き合いをしていた神父から性虐待を受けたのは、わずか10歳の時だった。何年にも渡り、ドラッグやアルコールに依存する事によって、ジョナサンは罪悪感と恥辱感から逃れようとしていた。彼は男らしさというものに対する疑念を、強がってみせたり家族に意地悪をする事によって克服しようとしていた。この自称「不良少年」がどのように人生を好転させたのか、彼のストーリーは告白している。
その他二人の男性、ティーノとアルトゥーロも恥辱と依存症に取り組んだ自らの経験を語っています。一人は小児性愛者によるレイプ、もう一人は幼い頃祖母から受けた性虐待が起点となっています。
多くの人々にとって、見知らぬ他人による誘拐やレイプは、想像し得る最も恐ろしいものではないだろうか。14歳のとき、ケリーは登校途中の道で一人の男にさらわれ、レイプされた後、人気のないひなびた場所に置き去りにされた。26歳になったケリーは、学生生活や家庭生活において、その暴行がどのように彼女の人生に影響を与えたのか、そして、ケリーをレイプし、彼女と同年齢の別の少女を殺害していたその男を捕まえるために、ケリーが警察にどのように協力したのかを語っている。
十代の若者たちが集まったパーティーで、ジェンナーは初めてアルコールを口にした。フラフラに酔っぱらってしまった彼女は、よく知らない男にドライブに連れ出され、セックスされてしまった。彼女はあまりにも泥酔しすぎていて、抵抗する事もできずレイプされてしまったのだ。罪悪感を抱いたジェンナーは誰にも相談できずにいたものの、一人の友人にだけ打ち明けた。だが、「そんなの大した事じゃないって。パーティーじゃ普通に起こることよ。」そう言われ、口をつぐんでしまう。心に封じ込めたものが彼女の感情を麻痺させ、ジェンナーを内側から蝕んでいった。大学に入ってやっと、ジェンナーは音楽を通して自分の気持ちを表現し、内に閉じ込めた怒りを解放させた。
子どもにとって危険な家族というのは存在するものだ。アカヤの父親は彼女に性虐待を繰り返し行った。母親に守ってもらう事ができなかった幼いアカヤは、自分に起きていることを意識から排除してしまった。30代の彼女はバリバリ働くキャリアウーマンになっていたが、そのとき初めて、あの記憶が彼女に甦って来た。アカヤは過去を思い出す事の苦悩と、どのように心の痛みを乗り越えて、父親への理解を深め、なぜ父親が近親姦を犯したのか理解するまでを語っている。
全ストーリー、その他のサバイバーたちのストーリーは『私たちは、性犯罪被害者です』で読むことができます。
なぜ私たちは自らを「サバイバー」と呼ぶのでしょうか。
英語で“Victim(被害者)”とは、他の誰かによって、あるいは事故、地震や水害のような自然災害によって傷つけられた人を意味します。しかし、その言葉は同時に、弱さ、痛ましさ、そして時には、哀れさを連想させます。
虐待や暴行を受け、今、心を癒そうとしている私たちに哀れみなど必要ありません!私たちは失望もしていなければ無力でもないのです!
1990年代、アメリカでは、サバイバーアクティビストの間で、使用言語や私たちの体験をどう表現するかという問題について大きな議論が起こりました。そして私たちは「サバイバー」という言葉を選びました。
英語で“Survivor”とは、大きな困難を乗り越えてきた人を意味します。時としてそれは、生命を脅かすほどの苦難であることも少なくありません。災害や人為的な心的外傷を受けた後、それを乗り越えて生きて行くためには内面的強さが必要です。「サバイバー」という言葉は、今を生きている私たちの力と、そしてまた、さらに力強く成長し蘇って来る可能性を感じさせます。